先ほど買い物にいた際に、
ショーケースが何かの反動でガタガタと揺れているのを見て思わず
また地震か!?と思ってしまいました。
それをうけて、自分はまだそういった怖い思いから
脱していないのだろうかと考えさせられます。
最近は少なくなりましたが、細かい振動や物音などに過剰反応だった時期がありまして。
地震の際、自分の部屋が一番の被害が出てしまったので
なおさら地震に敏感になっていたのかなと思います。
しかも、今回の地震では自分の家も雨漏りするほど瓦が落ちたし
基礎にひびが入ったしで根底の恐怖がぬぐえないくらい恐ろしい思いを自分はしたんだなと・・・
今更ながら実感した次第です。
今までは考えないようにしていたのですが、今日のふとしたことがあって
ようやく文章に書きだせるようになりました。
そして地震が起きてからというもの本当に家から出るのが怖くなりました。
誰かと一緒ならいいのですが、基本一人で出ていくのは正直とても嫌でした。
あんな怖いのがまたくるとは思いませんが、
それでも何かあったらと思うと「家を守らないと」という考えが出てきて
その結果家から一日も出ないようになってしまうのです。
兵庫に来て少しづつ改善は見られますが、それでもまだ恐ろしいですね。
出来ることなら引きこもりし続けたい衝動に駆られる時もあります。
いつ何時そういったことが起きるとも限らないということをこの目で見てしまったので
自分を納得させるのにはまだ時間がかかるのかもしれません。
後は海になれることでしょうか・・・
近くに海があるのですがこちらも怖いというよりは
純粋に嫌で近づきたくないと思ってしまっているので。
特に濁った海はとてもこわいと感じてしまいます。
多分思い出すのが本当のところは嫌なのだと思います、目に焼き付いた光景のことを。
でもそうやって思い出さないで記憶をないものにしたくはありません。
自分から進んで海側を見に行ったのですから。
あのときは、まずお友達の家の安否を確認しに行き
覚悟して仙台東部道路の下をくぐったことを覚えています。
不謹慎かもしれないとおもいながら、
それでも目に焼き付けて絶対に忘れないようにしようと思い
母親に海側に車を走らせてもらいました。
田んぼの中に、家の屋根が落ちてました。道路には理容室の椅子や、テレビがそのまんま。
海側を見ると、かろうじて家は建っているものの中身はありません。
みんな頑張れ頑張れっていうけど、これを見て、一体何を頑張ればいいのだろう?
という有様にあの時は言葉を失いました。
でもこの光景を目の前にして、
それでも復興をと頑張っている方々は本当に強い人々なんだなと改めて感じました。
地震・津波で思い出の土地も場所も奪われてしまいましたが、
それでも生きるため生活のためみんな頑張っています。
なので自分もうじうじしてないで、不安・恐怖を認識しながらうまく付き合って
ゆっくりでも前に進んでいきたいな・・・と思いました。
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