祖母が入院との一報を聞いて福島へ帰ってきたのが月曜日。
日に日に悪くなっていく祖母を見るのはもう苦しくて、
自分の無力さを目の前に突きつけられたように感じます。
苦しく息をする祖母の痰をとったり、痛い痛いというお腹をさすっているあいだ中、
・・・ばあちゃんの今の幸せってなんなんだろう?
今望むことってなんなんだろう?
ぼんやりと、そんなことをずっと考えていました。
私はまだ祖母に元気に生きていて欲しいというのが切実な望みです。
結婚式だって出て欲しいし、まだいろんなところに一緒に行きたい。
ひ孫だって見せたい。
しかし、ばあちゃんは母のいないところでしきりに私にこう言うのです。
辛い。苦しい。もう楽になりたい。
その言葉を聞いてしまうと、
私が望んでいる願いは横暴な押し付けにしかならないのではないか・・
言い方は悪いですが、そう考えてしまいます。
自分が望んでいる願いが、必ずしもその人の願いと一致するとは限らないのです。
今朝、担当の先生から教えられた病状説明は
私たちにとって絶望感に苛まれるものでした。
昨日使った薬が効かず、呼吸しても酸素が身体に吸収されない。
眠ってしまうとさらに呼吸が遅くなるので眠る事も生命に関わる。
もう、八方ふさがり。
それならば、せめて痛みのないように眠らせて欲しいと母。
本当にそれしか方法がないのか?そうも思いました、しかし
普通の肺炎とは違うもので薬もききにくいのでは施す術もあと僅かだと・・・
間接的に、余命宣告をされてしまいました。
優しい明日は来るんでしょうか。
今日と言う日が苦しくて苦しくて、前も見れず下を向いてしまいそうです。
私の出来ることって一体なんなのでしょう?
死の前では何もかもが無力に見えてしまう。
私が出来ること、それはずっとそばにいることくらいでしょうか・・
自分の願った望みのかけらに、まだ希望はあると信じたいです。
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