最近ずっと考えていたことがあります。
それは「孤独」というのは本当のところ存在しないということです。
ついったでもつぶやいていましたが、本当にそう思うのです。
まず、自分の体が何で出来上がってきたか考えてみてください。
食べ物、飲料水、衣類・・・などなどいろんなものの要素で自分って出来上がっています。
その中でも食べ物などは特にそうなのですが
自分以外の生命を食べて血肉にしているわけです。
そのほか例えばお惣菜を買ってきて食べたならば
そこにはお惣菜を作ってくれた「誰か」が存在しています。
そうやってたどっていくと自分は常に「誰か」の作った何か
あるいは他の生命によって生かされているということ。
それは、必ず人は他の人や植物とか動物とか、見えない存在に至るまで
つながっているということなんじゃないでしょうか。
人間というのは、さまざまなものから出来上がっているわけで
どこからどこまでが自分という、境目なんて本当あいまいです。
しかし「自分は自分」と境界線を引いて、形を定めようとしているのは
まぎれもない自分なんです。
でもそれが、その考え自体が孤独を呼んでしまうのではないでしょうか。
命というのは本来やっぱり一つなんだと思います。
初めにこの地球が生まれて生命が誕生したとき、
やはり一つのところから始まって、
そして現在にいたるのでしょう。
どうやって生命が誕生したかとかは私は分かりませんけれども
なんていうのだろう・・・命って本来は分割されるような対象じゃあないように思うのです。
引き寄せ(引き合わせ)の法則を実践してて最近そのことを強く感じるようになりました。
だって引き寄せ(引き合わせ)法則って
人と人がつながっていなければ絶対成り立たないんだもの。
そしてその人と人を深いところで繋げているもののが何なのかを考えたとき
出てきた答えが「命は一つ」というものでした。
いままでスピリチュアル系統の本に書かれてきていたその一文、
本当のところでよく理解していない自分がいました。
というか、漠然としか考えていなかったのかもしれません。
自分と他人がつながっているという話、「命は一つ」というその部分。
これは身をもって体感しないと「そうだったのか」と腑に落ちないということがわかりました。
今この瞬間、孤独を感じている人は
「生かされている」ということに気が付いていないだけなのかもしれません。
自立という言葉がありますが、自分一人で立っている人間なんていません。
自給自足で誰にも会うことのない生活をされている人ですら孤独ではないのだと思います。
人に会わないからと言って「孤独」かと言えばそうではないということです。
私たちは、まわりに自然があればそれに生かされ、
ときには見えない存在にも生かされています。
そして、私はその「生かされている」という事実を体感したとき
「感謝」という気持ちが心から湧き上ってきました。
今までになかったであろう、とても深い感謝の気持ちでした。
疎外感を感じて生きづらい、孤独を感じるという方。
そんな方に提案です。
自分でめっちゃおいしいご飯を作って、
野菜の生産者のことを考えたり、お肉になった動物たちのことを考えたりしながら
ゆっくりとごはんを食べてはいかがでしょう?
あるいは洋服を縫製してくれた人のことを考えたりなんだり。
とにかく、自分の前にある「もの」を考えた人のことを思ってみてみて欲しいです。
思いやる心というのはそんなところから生まれるように思います。
そうやってきっとずっと考えていたら
「自分は生かされている」ということに気が付くかもしれません。
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