INNER SPACE

こちらは鉱物マニア・revyの日々の出来事や、心の中で思ったことをアップしていく日記帳です。

自身のもう一つのブログArt & Craft NAUS(ナウス)のほうでは書ききれない精神的な内容はこちらに集約されています。

みえない存在、ガイドからのメッセージなどを記載していますが、それらがよくわからない方でもちょこっと眺めていただけたらうれしいです。


2012年3月22日木曜日

明日が遠くて

こんなに長く感じる一日もないだろうと思います。

祖母が入院との一報を聞いて福島へ帰ってきたのが月曜日。

日に日に悪くなっていく祖母を見るのはもう苦しくて、
自分の無力さを目の前に突きつけられたように感じます。

苦しく息をする祖母の痰をとったり、痛い痛いというお腹をさすっているあいだ中、

・・・ばあちゃんの今の幸せってなんなんだろう?
今望むことってなんなんだろう?

ぼんやりと、そんなことをずっと考えていました。
私はまだ祖母に元気に生きていて欲しいというのが切実な望みです。
結婚式だって出て欲しいし、まだいろんなところに一緒に行きたい。
ひ孫だって見せたい。
しかし、ばあちゃんは母のいないところでしきりに私にこう言うのです。

辛い。苦しい。もう楽になりたい。

その言葉を聞いてしまうと、
私が望んでいる願いは横暴な押し付けにしかならないのではないか・・
言い方は悪いですが、そう考えてしまいます。
自分が望んでいる願いが、必ずしもその人の願いと一致するとは限らないのです。

今朝、担当の先生から教えられた病状説明は
私たちにとって絶望感に苛まれるものでした。
昨日使った薬が効かず、呼吸しても酸素が身体に吸収されない。
眠ってしまうとさらに呼吸が遅くなるので眠る事も生命に関わる。

もう、八方ふさがり。

それならば、せめて痛みのないように眠らせて欲しいと母。
本当にそれしか方法がないのか?そうも思いました、しかし
普通の肺炎とは違うもので薬もききにくいのでは施す術もあと僅かだと・・・
間接的に、余命宣告をされてしまいました。


優しい明日は来るんでしょうか。
今日と言う日が苦しくて苦しくて、前も見れず下を向いてしまいそうです。

私の出来ることって一体なんなのでしょう?

死の前では何もかもが無力に見えてしまう。
私が出来ること、それはずっとそばにいることくらいでしょうか・・

自分の願った望みのかけらに、まだ希望はあると信じたいです。

2012年3月13日火曜日

痛かった。

昨日は死ぬ思いでした。
何故か急にお腹が痛くなり、布団の中でのたうちまわり・・・
本当に一瞬意識が飛びそうになりました(゚д゚lll)
危なかったです。
これまで自分はビールと生の魚を食べると必ず酷い食あたりを起こしていたのです。
しかし、一昨日はビールはのんでいたものの、一緒に魚なんて食べてないし・・・

それ以外の理由ならばかなり危険なので病院へ行こうかと思っていました。
しかし夫が帰ってきてからびっくりな事が判明。
なんと一昨日食べた生春巻きの中に生サーモンが入っていたようなのです。
それを全く知らずにビールと共に食べてしまい、昨日の大惨事になったみたい・・・
幸いなことに食べたサーモンの量が少なかったので、
下痢や吐くまでにはいかなかったようです。
富山のいにしえの秘薬を飲んでなんとか回復しました。
mixiのほうでは本当お騒がせな事になってしまい申し訳ないですm(_ _)m

そんな訳で、昨日は回復のために身体が力を使ったため
起きる事が出来ず午前中寝ることに。
そうしたら、疲れていたからか明晰夢を見ました。
かなり現実に近い夢で、内容は沖縄の海。
その海は砂がとてもきめ細やかで手で触るとサラサラとリアルに落ちていきます。
それを見て「ああ、これは夢か」と気づき、海へとゆっくり入っていきます。
海へ入ると、あたたかくてとても癒された気持ちになりました。
今回は明晰夢を見ている時間は長く、
お陰で実際に起きたあとはとてもすっきりして活動出来るようになりました。
癒しの力をもらってきた感じですね( ´ ▽ ` )

午後からは三ノ宮へ行こうかな・・・?
石をお店に渡しにいかなければならないので行ってこようと思います。

2012年3月12日月曜日

震災から一年。

昨日お友達の日記の内容を見て泣いてしまいました。

行き場の無い怒り、
何処にもぶつけられない悲しみが強く伝わってきて、
被災地では「まだ一年」なんだなと痛感した次第です。

そして福島県では放射線の問題もまだ深く影を残しています。
みんな暗い気持ちになって先が見えなくなって
辛い思いをしている方が沢山いらっしゃいます。

でも自分が被災してから神戸近郊に引っ越してきて、
新たにお友達が出来てから、思うこともあります。

その方は阪神大震災を経験されていて、一緒に神戸市内を歩いていると
震災の時はここら辺は何もなかったとか、
SOGOは半分真っ二つになったけど今は綺麗に再生したなど・・
随所で変わっていった街のことを教えてくださいます。
今、神戸がこうやって美しい良い街に変わっていったのも
ゼロよりマイナスからのはじまりだったと思います。

時が経つと変わっていくものなのですね、人も街も。

自分がストレスが溜まったり落ち込んでいた時、
良く通っていた「野蒜」という海岸は
もう松林まで根こそぎ何も残っていないそうです。
潮干狩りで楽しかったあの場所ももう何もない。

しかし、もう思い出の場所はなくなってしまったけれど、
生きていればこそ、またやり直せる。
いつかはきっと作り直せます。
どんなに苦しくとも、今、生きてる事は何よりもかけがえのないものです。
また作り出せるんですから。

震災で亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、
復興と言わず新たな東北に生まれ変わって行くことをせつに願います。